horumo’s blog

心理学・心理術の世界

<マインド> 失敗を恐れている若者へ

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あなたは人生において、どのような失敗をしてきましたか?

そして、その失敗についてあなたはどのよな見解をお持ちになったでしょうか?

失敗は恥ずかしいことで、よくないことだ。

出来れば、失敗せずリスクのない生活をしたいと望んでいるでしょうか?

 

<目次>

 

1.失敗と成功

みなさんは成功をする秘訣は何だと思いますか?

結論から言うと「失敗を厭わない姿勢」です。

 

これは、「全ての経験から学習する」という哲学に根付いており、成功の階段を上っていくのは

「リスクをとること」

「居心地のいい領域・生活から抜け出すこと」

「失敗に前向きであるかどうか」

が不可欠です。

 

2.成長したいという意思

成長に前向きであるということは、自分自身に挑戦することでしか潜在的な能力を発揮できないという考え方です。

 

難題に直面した時は、成長する絶好のチャンスだと考えます。

 

失敗したり、目標を達成できなかったとしても、それはあなた無能で力不足なのではなく、振り返って反省し、成長へ向けて前進する必要があるという事だと私は考えます。

 

自分自身に前向きであると、得られることは沢山あります。

ほとんどの人は自分の力の無さや知識の無さに悲観的でマイナスのイメージを持ってしま事がほとんどです。

 

それをここでは固定的な思考としましょう。

 

3.成長を阻む悲観的なマインド

「固定的な思考」とは、能力・知性・才能をあなたが持っていようといまいと、それらは固定的であり、変わらないと信じる考え方です。

 

この思考の持ち主は、例えば自分がテストで悪い点数をとったり、なにをしても成功しなかったりすると、もともと自分には素質がなかったんだと考えます

 

この人が挫折を経験すると、ほとんどの場合は諦め、すぐに成功できる「別の何か」を探し始めます。

 

そして、自分の得意分野を探すことや、失敗、苦労をさけることが人生の目標になってしまいます

 

自分の成長にがめつく貪欲である人は、困難に耐え抜き、仕事に意味を見出し、長期的に成長する傾向にあるでしょう。

 

4.アヒル症候群

ここでアヒル症候群というものの話を交えます。

ヒル症候群はなにか恐ろしい病気や精神的な病気とかではなく、人間の多くの方に当てはまるであろう考え方です。

 

この考え方には有害な2つの特徴があり、2つが同時に発症すると、成長したいという思考を妨害します。

 

1.成功することや、誰よりも優秀でありたいということ。

2.「成功するために必死に努力しているわけではない、と周囲から見えるようにする    ことが大切だ」と信じること。

 

このアヒル症候群という言葉は、アヒルが泳いでいる状態に似ていることから名づけられました。

池を泳ぐアヒルは楽々と水上を移動しているように見えますが、水面下では、必死に水をかいて、沈まず前に進もうとしています。

 

こういった人は、表向きでは落ち着いついていて、自信を持ってい入るように見えますが、周りに追いつこうと必死です。

 

こいうった人は、失敗を避けたいという承認欲求が邪魔して、「可能性にチャレンジしない」という選択をすることがあるでしょう。

 

「苦労や努力をしているところを表に出さない」ことを目的にしてしまうと、自分自身を成功に導いてくれる物事から遠ざかることになります。

 

自分自身の問題を隠さなず、問題について安心して話し合えるようなコミュニティ作りが大切でしょう。

 

5.大失敗が成功のカギに

大前提として、生きている人間で失敗したことのない人はいないでしょう。

 

大事なのは以下の4つだと私は考えています。

 

1.ある失敗をしてしまった(事象)

2.なぜそれが起こったのか(原因)

3.それが今後起こらないためにどうすればよいか(対策)

4.対策を取り入れたことでどう変化したか(結果)

 

要するに、「ミスは避けられないものだから、重要なのはそれにどう対処するか」だと考えます。

 

成功するために完璧である必要はないし、沢山の人の助けを積極的に受けていくことが大切だと思います。

 

「過ちや失敗は全ての終わりではなく、その対処を見つけ出し、最善のアクションをとるためのきっかけに過ぎない」という事だということです。

 

成功に貪欲で目標を持っている人はこのマインドが備わっています。

 

6.まとめ

例えば、あなたが会社で失敗をしてしまったとき、あなたの上司は部下であるあなたに怒号や理不尽でなんのためにもならない説教をする人がいたとしましょう。

 

いや、実際に山ほどといます。

そのような方は人材を育成するマネジメント能力やよりよい環境づくりの方法を理解していませんよね。

そんな環境はさっさと抜け出し、自分を成功へと導いてくれる、能力のある方を探していきましょう。

 

自分の意志で環境はいくらでも変えられる時代になっています。

 

無意味にそこに居続ける理由はんんですか?

失敗やリスクを恐れているからですか?

 

まずはその思考から抜け出し、自分の失敗や問題を共に解決してくれる仲間と出会い、自分の思い描く将来像に向かって努力し、成功に対する前向きな思考を持ちましょう。

 

・「失敗を厭わない姿勢」

・成長したいという意思を持つこと

問題について安心して話し合えるようなコミュニティ作りをすること

・失敗は全ての終わりではなく最善の行動を起こすきっかけに過ぎないということ

 

これらについての理解を深め、さまざまなことに恐れず挑戦していきましょう。

 

みなさんのこれからの人生に幸あれ。

 

 

 

 

 

 

<心療> 自分で自分を抱きしめて #心理

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あなたはもう十分苦しんできました。

だから、もう苦しむ必要はありません。

これからは幸せになってもいいのです。

 

・辛い出来事を何度も思い出して今う人

・過去の記憶にとらわれて自由になれない人

・「あのとき~していれば」と後悔している人

 

ちょっと考え方を変えてみませんか?

 

前回までの記事

  ↓

 

drg-horumo.hatenablog.com

 

drg-horumo.hatenablog.com

 

<目次>

 

1.誰かに相談すればすべて解決か

相手が全て分かってくれるとは限りません。

人は痛みを負ったときというのは、周囲の人に相談するものです。

1人で我慢して耐えるよりは、自分の気持ちを吐露できる相手や場所があった方が心の痛みは軽くなります

 

そうすることで、自分では見えなかったことに気づいたり、精神的な支えが得られたり、具体的な対処法が得られたり、周囲の協力が得られたりするものです。

 

しかし、他者にも理解されないこともあります。

三者に相談することで、思いもよらない返答が返ってきてさらに自分自身が傷ついてしまう2次被害が起きてしまうこともあります。

 

自分を取り巻く人々に傷つき、そんな人たちを恨んだりすれば、ますます、苦痛が増すばかりです。

自分は過去の苦痛から永遠に解放されないのではとさえ思ってしまいます。

 

こんなことを言うと、「じゃあ人は頼りにしない方がいいのか」といいたくなるかもしれません。

 

そうではありません。

相手に理解を求めても、理解してもらえない場合もあるということを皆に知っておいてほしいのです。

 

理解してもらえないからといって、相手を恨んだり恨めしく思ったりすれば、結局また自分の心に傷を残すことになります。

 

そうやって相手に求めれば求めるほど傷が深くなって、その泥沼から這い出せなくなっている人もいるというも事実です。

 

 

2.謝ってもらえればそれで全て解決か

「相手が謝ってくれれば許せたのに」という人がいます。

本当にそうか?

「もし~していれば~だった」というのは、理屈で考えたことを頭の中でイメージして言っているだけに過ぎないことがしばしばです。

 

例えば、あなたが子供の時に親から十分な愛情を注いでもらえず閉鎖的な人間になってしったことに憤慨し、その怒りの矛先が両親だとします。

 

そのことを親が土下座をして謝ったとしましょう。

そんな風に謝られたら、何年もひどい仕打ちを受けてきた記憶とその痛みが、あなたの中で一瞬のうちに氷解するでしょうか。

 

「一度頭を下げたくらいで許せるか」となったり、許すどころかかえって火に油を注ぐような結果になったりすることもあるでしょう。

 

あるいは、「これで終わり?今まで自分が苦しんできたのは何だったんだろう」と、怒りとも悲しみともつかない、複雑な感情が押し寄せてくるかもしれません。

 

相手が謝ってくれた時あなたはどうなるか。

肉親に限らず、自分を傷つけた相手が一度心から謝ったからと言って、否定的な扱いを受けていたことによる痛みが、すぐに消えてなうなるわけではありません

 

・親子の確執で苦しんできた

・夫婦の問題でお互いに争ってきた

・恋人に裏切られた

・学校や職場でいじめにあってきた

・犯罪の被害者になってしまった

 

こんな経験をしたとき、仮にその相手が心から謝ってきたとしても、許せるものではないでしょう。すぐに心の痛みが癒されるわけでもありません。

 

 

第3者に求めすぎてもよくありません。

相談をした相手が理解してくれれば、心の痛みが少し癒せたような安堵感を覚えたりもします。

ただその一方で、どんなに第3者の理解が得られたとしても、それでけで心から満足することはない、ということも承知しておいて欲しいのです。

 

「私の気持ちを分かってよ」

そうやって理解を求めすぎると、相手に「予想通りの反応」を要求してしまいます。

そのため、相手が少しでもこちらの予想を裏切るような反応をすると、それでけで傷つくことになります。

 

相手に求めるなとは言いません。

他者に理解と協力を求めつつ、あなたが真に立ち直るために、自分を愛する方法を少しずつ身に付けていってほしいです。

 

3.マイナスの感情への向き合い方

怒りや憎しみは簡単には手放せません。

過去の辛い出来事に対して、怒りや憎しみや恨み、あるいは罪悪感や後悔といったマイナスの感情を抱えていると、そのことによって自分自身が苦しむことになります。

 

かといって、「相手に怒りをぶつけても満足しない」と訴える人も多いように、マイナスの感情というのはなかなか手放せるものではありません。

 

その結果、心の中を相手に対する怒りや憎しみや恨みでいっぱいにしている人もいます。

 

相手に怒りをぶつけて謝罪を勝ち取ったとしてもそれで心が癒えるわけではなということは先程記述した通りです。

 

では、未消化の気持ちを抱えたまま諦めろと?

いいえ。ヒントは「ありのままの自分を受け入れる」ことです。

 

まずなぜあなたはマイナスの感情を抱いているのでしょうか。

それは、あなたがそんな感情を抱いてしまうほどの「理由」があったからですね。

理由があるのなら、自分がそんな感情になることを、どうして否定したり拒否したりしなければならないのでしょうか。

 

次に、そのマイナスの感情が強くなるのはなぜでしょう。

ひとつは、そんな感情を抑えたり、否定したり、拒否するからです。

あるいは、そんな感情を持ってしまった自分を責めてしまうからです。

 

本来の感情から目を背けようとすればするほど、その感情は次第に強くなていき、あなたを一層苦しめます

 

ではどうしてその感情を受け入れられないのでしょう。

「受け入れる」とはどういうことなのかよくわからない人もいるでしょう。

他者中心になって、相手の憎しみや恨みで心の中がいっぱいになっていると、自分の感情をどう扱っていいのかすら気づきません。

 

「殺したいほど憎い」

こんな風に感じてる人もいます。

そこまで怒りや悲しみを抱かせるほどの出来事があった人は、激しい感情を爆発させないように、必死に自分の心をのぞき込むことを避けています。

 

「自分の気持ちを認める」というのは第3者に聞いても理解できるようなことではないです。

自分自身で気づいてやっと理解できるものです。

だからこそ「自分の気持ちを認める」ということの大切さに気付いてほしいです。

 

4.自分を大切に

自分を気づつける生き方を捨て、ありのままの自分を肯定して人生を歩んでいきましょう。

肯定するか否定するかの選択であなたの未来は大きく変わります。

 

今までと同じように自分の感情に抵抗したり、相手に復讐したりする方法で過去の痛みを癒すことが出来ると思い込んでいるなら、ここでその考え方を捨ててほしいものです。

 

自分のことを責めても、「自分を傷つけている」ことに変わりありません

 

あなたは精一杯やってきました。

一生懸命生きてきました。

それで十分です。

まずはそんな自分をいたわることから始めていきませんか?

 

 

 

 

<心療> 記憶がなくなれば辛かった過去は消えるの? #心理

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あなたはもう十分苦しんできました。

だから、もう苦しむ必要はありません。

これからは幸せになってもいいのです。

 

・辛い出来事を何度も思い出して今う人

・過去の記憶にとらわれて自由になれない人

・「あのとき~していれば」と後悔している人

 

ちょっと考え方を変えてみませんか?

 

  ↓

前回の記事

drg-horumo.hatenablog.com

 

<目次>

 

 

1.記憶がなくなれば解決するのか

脳は辛い過去を消そうとします。

過去の心の痛みを癒すには、時間がかかります。恐らく多くの人が思っている以上に時間はかかるでしょう。

「いつか時間が解決してくれる」

そう信じて、時の流れに身を任せていきることも出来るでしょう。

 

実際に、私たちの脳の中には「過去の記憶」を薄れさせてくれる機能が備わっています。

だから、辛かった過去も、時間が経つにつれて物体が風化するように少しずつ輪郭が曖昧になっていきます。

そうやって長い年月の末に、「ようやく少し未来を見ることが出来るようになったなあ」と、自分の心の軌道をしみじみなぞりながら、立ち直ってきた自分に喜びを感じる人も多いでしょう。

 

しかし、過去の記憶がようやく薄れてきたとき、今度は「ここまで来るのにこんなに長い時間を要してしまった」と過去にとらわれていた年月の長さに愕然とする人もいます。

そして、自分の人生とはいったい何だったんだろうと激しく後悔する人もいます。

 

場合によっては「死にたい」と思う人もいるでしょう。

しかし、心はそうであっても肉体はそうはいきません。

肉体は自分の命を生かすことを最優先に考えます。つらいことがあったからと言って自分の命を脅かすなんてとんでもないことです。

 

こんな時、無意識の領域では次の相反する命題を解決しようとします。

 

・精神⇒辛いから死にたい

・肉体⇒何としてでも生きたい

 

そして、「わかった、そんなに辛いんだったら、記憶を消してしまおう」と、無意識が「自分を生かすため」に記憶を消してしまいます。

 

このように無意識がいわば「生命維持装置」のような役割を果たして、記憶をなくすことがあります。

 

生命を維持するための苦肉の策として、記憶を消してしまうと楽になるかというと、そういうわけでもないと考えます。

 

むしろ記憶が消えた人は「理由はないが不安になる」、「一人でいるとき怖くてたまらない。でも、自分が一体何に怯えているのかその原因がさっぱり分からない」という風に、正体不明の影におびえるようになるでしょう。

 

したがって、記憶が消えても、辛い過去が帳消しになるわけではないものです。

 

では、「過去の出来事を覚えていなくても辛いということなのか?ずっと苦しみ続けなければならないのか」と思う人もいるでしょう。

 

勿論そんなことはありません。

 

過去の痛みから解放する方法はあります。

その方法はきっとあなたの過去の痛みを癒すと同時に、未来の自分を守ることにもなるでしょう。

 

2.視点を変えて考えてみよう

辛い過去の「当事者」自分と相手との関係性について考えていきましょう。

 

あなたが過去に辛かった体験をしたのであれば、なぜそんなことが起きたのかという問題を、もう一方の当事者である相手との関係性の中でとらえる必要性があるからです。

 

"過去の痛みに苦しんでいる人達"の多くに共通することは「これが見えていないから問題がどんどん膨らんで、状況が悪化していく」ということです。

 

では、「他者中心」だと何が問題だと思いますか?

 

それは「自分に起こった出来事が正確に把握出来ない」という点です。

 

試しに、過去にネガティブな感情を抱いた出来事を思い出してみてください。わざわざ辛かった過去を必死に思い出すことはありません。

 

最近の軽い出来事で大丈夫です。

 

職場でどういうことがありましたか?

家族にどんなことを言われましたか?

どんな時にイライラしたり、腹が立ちましたか?

どんなことで傷ついたり悲しくなりましたか?

 

ポイントは物事の全体が見えているかです。

 

例えば、相手に裏切られたと知って絶望した場面、相手の行動が信じられなくなって失意に打ちひしがれた場面、信じていたことが嘘だと知って茫然になった場面など、過去のある1場面が蘇ってくるでしょう。

 

こういう場合、相手にマイナスの感情を抱けば抱くほど、心が激しく揺さぶられます。

そして、感情が心に強く刻まれるため、その場面が後々まで鮮明に記憶されます。

 

しかし、この時私たちの心を占めているのは「相手が私に何をしたか」、あるいは「私が相手に何をされたか」です。

 

自分が「傷つけられた」、「傷ついた」という思いがある時は、尚更この部分にしか意識が向きません。

 

しかし、物事には全て流れがあります。

要するに言いたいのは、その前後はどうだったかということです。

 

 

 

「青天の霹靂」という言葉があります。

思いもしなかった出来事が突然起きて、ひどく驚いたときなどに使われます。

いきなり文句を言われた。

いきなり別れを告げられた。

いきなり解雇された。

あるいは、道を歩いていたら、いきなり大木が倒れてきた。

 

こんなことが起きたらそれは紛れもなく、「青天の霹靂」でしょう。

 

過去にとらわれている人はよく、自分に降りかかった災難を「青天の霹靂だった」といいます。

 

でも、自分にとってはそうであったとしても、相手にとってはどうでしょうか?

相手はあなたに対して、「今言わなきゃ」、「このまま関係を続けることは出来ない」そう思って行動しています。

 

相手が100%悪いから私は悪くないという人もいるでしょう。

確かにあなたにとってはそうです。けれども相手からしたら自分が気づかないうちに傷ついていて「仕返しをしたい」と考えているかもしれません。

 

相手が逆恨みをする可能性は十分あります。

そこで、じゃあ諦めるしかないのか?

そうではありません。

言いたいのは、どんなに相手が悪くても、相手があなたに抱いている感情を変えることは出来ないという事です。

 

そういう意味では、どちらが悪かったのかをハッキリさせるだけでは問題は解決しません。

特に心の問題はそうです。

 

どんなにあなたが正しくて、心の中で自分の正義を叫んだとしても、裏切る人は裏切るし、だます人はだまします。嘘をつく人は嘘をつくし、欺く人は欺きます。

それはその人たちの生き方なのです。

 

どんなに間違っていても、そうすることを彼らが望んでいる限り、私たちはその生き方を変えることは出来ません。

この認識は非常に重要です。

 

では、何が問題なのでしょうか?

それは「どうして私が傷つくことになったのか」ということです。

どうして裏切られたのか。

どうしてだまされたのか。

 

重要なのは、「相手があなたを傷つけた」事実よりも「あなたが相手に傷つけられてしまった」という事実です。

 

そして、その結果を「青天の霹靂」のように感じているのだとしたら、それこそがあなたにとっての間違いです。

 

 

 

3.自分の感情に正直に

あなたは自分の本当の気持ちが見えていますか?

「みんなと仲良くしなければならない」

「人を嫌いになってはいけない」

「人を否定してはいけない」

「人を悪く思うのはいけないことだ」

このようなことを考えていると、自分の本当の気持ちや感情を抑えるか、無視することになります。

 

それどころか、相手にマイナスな感情を抱くと、そんな感情を抱いてしまう自分自身に罪悪感を覚えるかもしれません。

 

「みんながみんなが...」

という思考の人はすでに自分の感情を無視しています。

 

こんな風に自分の気持ちや感情を無視したりしていると、私たちにもともと備わっている感知能力は鈍っていき、やがて自分の気持ちすら見えなくなってしまいます。

 

思考は凝り固まると執着心や依存心にすり替わります。

このような依存心によって自分の心が曇ってしまうとますます何が起こっているのか、正確に見えなくなってしまいます

 

私たちは、突然ショックなことが起きると、心に大きな衝撃を受けます。

しかし、大きな衝撃を受けるということは裏を返せば、それまで現れていた兆候に全く気付かなかったという事です。

 

勿論中には不可抗力があります。

自然災害ならともかく、一般的な対人関係においては、問題を早く察知することは可能だし、早めに察知していれば防ぐことが出来た場面も多いのではないでしょうか?

 

他にも、我慢することが癖な人は、他者に振り回されることが当たり前になっていると、それがおかしいと気づくことなく、ついつい我慢してしまいます。

 

しかし、「我慢する」というのは、一般的には評価されることだとされています。

「人生には辛いことが沢山ある。でも誰だって我慢して耐えているんだ。それが人生なんだよ」と。

 

苦労して生きてきた人たちの常套句です。

 

でも本当にそうでしょうか?

そうやって我慢するから、艱難辛苦の人生になってしまうのだと考えたことはありませんか?

 

我慢は必要なことだと思い込んでいる人ほど、不思議と知らない間に自分自身を大変な道にどんどん追い込んでしまいます。

ですから、自分に鞭を打ってまで我慢をする必要性はないのではないでしょうか?

 

対人関係において物事はいきなりは起きません。

必ず前後にそれが起こった原因があります。

自分の気持ちに正直になって柔軟になれば、今後起こるであろう、もしくは相手の気持ちをいち早く察知して未然に防ぐことが出来るかもしれません。

まずは自己中心で自分の気持ちを大切にしてください。

 

4.無理に過去と向き合う必要はない

心の中で過去が再現されないようにほかのことで気を紛らわせても、「現実逃避するな」、「過去を直視すべきだ」と他人がいってくる場合があります。

 

この考えは一見正しいようですが、実はそうでもありません。

 

過去と向き合うことが、必ずしも最善とは限らないからです。

 

過去と向き合うのが辛い時は、自分にそれを強いる必要は全くありません

なぜならそれは、自分の心が「向き合いたくない」「向き合うのが怖い」と言っているのだから。

 

そんな時は自分の気持ちを優先する方が重要だと私は思っています。

 

まずは自分の気持ちを第一に優先し、どんな方法であれ自分を愛してみましょう。

 

これ以上自分を傷つけることがあってはならないのです。

 

 

 

 

<心療> 過去の出来事が忘れられない #心理

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あなたはもう十分苦しんできました。

だから、もう苦しむ必要はありません。

これからは幸せになってもいいのです。

 

・辛い出来事を何度も思い出して今う人

・過去の記憶にとらわれて自由になれない人

・「あのとき~していれば」と後悔している人

 

ちょっと考え方を変えてみませんか?

 

<目次>

 

1.心の痛み

上司から言われた言葉に、立ち直れないほど傷付いた。

母の無神経な一言が、いつまでも忘れられない。

夫のひどい仕打ちを思い出すと、未だに怒りに震える。

などなど...

 

これまでの人生を振り返ると、誰でもこのような”心の傷”を負った経験があるのではないでしょうか?

さまざまな出来事に傷つき、それを自ら癒しながら前に進む人たちはこれまでもこれからも変わらないでしょう。

ただ、最近は少しだけ傾向が変わってきているようなきがします。

それは、傷の痛みの”深刻さ”です。

 

すっかり立ち直ったつもりでも、何かのきっかけで、つらかった過去の思い出がよみがえってしまう。そして、その痛みが十分に癒されないうちに、似たような出来事が繰り返され、さらに痛みが深まっていく。

 

こんなふうに、つらかった過去からなかなか立ち直れなくて、失意のあまり、何もかも放り出して動けなくなってしまう人が増えています。

 

では、なぜそのような人たちが増えているのでしょうか?

それは、多くの人が、自分の感情を大切にしていないからだと私は考えます。

 

例えば、自分の気持ちがひどく踏みにじられても、人から、「それくらいのことで傷ついていたら何もできないよ」と言われれば、「我慢するしかないんだ」と傷ついたことを否定してしまう。

また、気持ちが萎えるようなことがあっても、「そんなことで挫けるのは心が弱いからじゃないの?」と言われれば、「もっと強くならなきゃ」と、自分で自分の心を縛ってしまう。

 

過去の痛手から抜け出せない最大の理由は、このように、自分が傷ついても他者の論理に従って、本来の感情をないがしろにしてしまうからではないでしょうか?

 

自分の気持ちよりも他者の事情を優先する生き方は「他者中心」です。

他方、自分の本当の気持ちや感情に気づき、それに寄り添ってあげる生き方は「自己中心」です。

 

過去を癒し、人生をこの手に取り戻すには、「自己中心」のなって、自分を守ってあげなければなりません。

 

2.過去が忘れられない

どんなに過去を悔やんだとしても、過ぎ去った時間を取り戻すことはできません。

けれども、未だに過去の辛い出来事にとらわれて、

「もっと積極的に行動したいと思うのですが、”あのこと”を思い出すとどうしても前に進めないんです」

「もっと未来のことを考えようとしても、すぐにつらかった過去に戻ってしまうんです」

という人もいます。

 

何かに夢中になっている時は忘れているけれども、ふと手を休めると、いつの間にか、考え込んでいる自分がいて、ハッとする。

過去の嫌なことを次々に思い出してしまうので、ひとりになるのが嫌だという人もいます。

 

「誰かと一緒にいるときはいい。でも、1人になると”あのとき”のことがよみがえってきて、辛いんです」

 

こんな風に過去の辛い経験を今も癒せずにいて、過去と現実の間を行き来している人たちは少なくありません。

 

そして、「どうして、あんなことをやってしまったんだろう」とつぶやきます。

「あのとき、私はどうすればよかったんだろうか」と自問します。

「一体どこで間違えたんだろうか」と悩みます。

でもいくらい考えても答えは出ません。

 

そして、「あのとき、どうして~しなかったんだろう」、「あのとき、自分が~していれば」という過去への思いにとらわれて、そこからなかなか踏み出せない人たちは少なくありません。

けれども、本当にその通りにしていたら、望むような現在が訪れていたでしょうか。

 

過去の辛い経験を手放して、新しい人生を踏み出すには、何をどのように考えればいいのでしょうか?

 

3.事例

 

・職場や学校、コミュニティで嫌がらせやいじめを受け、先生や母親、上司に相談したが、

「あなたにも悪いところはあったんじゃないの?」と話を聞いてくれず、人に心を開きにくくなってしまった人

「君よりもあの人の方が優秀だ」と言われ、濡れ衣を着させられ、誰にも相談できず、心に傷を負ってしまった人

 

・どうしてあの人と結婚してしまったんだろうと変えられない過去にしがみつく人

 

・ある友達の愚痴を別の友達に相談して、その友人が本人にチクり、三人の関係性に亀裂が入ってしまった人

 

・自分よりも他人を優先して生きてきたがゆえに、人を責めずにはいられない性格になってしまったり、自分の感情は後回しになってしまう人

 

4.正しい選択なんてあったか

 

どんな事例であれ、私たちはひどく傷ついた過去を思い出す時、「どうしてあんなことをしてしまったんだろう」と後悔します。

「あの時、あんな選択をしなければ、もっと幸せな人生を送っていたはずだ」という思いにとらわれがちです。

 

こんな風に、つらい過去の記憶が現在の自分を苦しめている時、周りは「つらいだろうけど時間が必ず解決してくれるよ」と言います。

 

確かにそのときはどんなに辛くても、時間が経てば、過去は年月とともに風化して、遠い記憶になるでしょう。

 

しかし、私たちには時間が無限にあるわけではありません。

記憶が色あせて、過去を思い出しても何も感じなくなるまで待つことは出来ないのです。

 

辛かった過去を手放すために、時の流れに身を任せるだけでなく、もっと自分自身でできることはないでしょうか?

 

5.結論

辛かったことをカウンセラーや心療内科の先生に話す以外は、たいてい「時間が解決してくれるよ」という事を発するでしょう。

 

しかし、全くもって全員が全員そうではありません。

 

過去にとらわれ、まだ動き出せない人も大勢いるでしょう。

 

解決の糸口となるのは、今自分が一体に何に怯えているのか、なにが不安なのか、何に怒っているのか、あの時もし~していたら今は本当にいい結果になっていただろうか?

と原因を明らかにし、それから逃げず真摯に向き合ってみることが本当に大切です。

 

逃げたい気持ちもすごくわかります。しかし、そのままだとあと何十年、死ぬまで何も変わりません。どこかで変わらなければ。

 

まずは不安材料を一つ一つ紐解いていき心のもやを解消していきましょう。

 

次回は、辛かった過去を手放すために、時の流れに身を任せるだけでなく、もっと自分自身でできることにポイントを当てていきましょう。

 

 

 

 

とにかく楽しくなるランニング

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<目次>

 

 

1.ランニングは禁煙の最短ルート

ランニングを始めるからと言って、パタリと禁煙をするとそのこと自体がかえつてストレスになる恐れがあります。

 

まずは無理にタバコを辞めることよりも、実際に体を動かしてみましょう。とはいえ、喫煙者はいつも、一酸化炭素を体内に取り入れて酸欠状態になっているので、酸素をたくさん必要とするランニングをいきなり始めるのはきついはずです。

 

まずはウォーキングから始めて、少しずつ心肺機能を回復させてください。

 

普段から走っている人とそうでない人は、呼吸の回数や深さが全く違います。走ることで体が浄化されて呼吸も深くなると、タバコの煙りや排気ガスが気になりだし、タバコを吸いたくなります。

 

走って汗をかくことでは、ニコチンは抜けてくれませんが、徐々に本数が減り自然に辞めることが出来るはずです。

 

しかし中には例外がいるようで、レースで完走したあと、実に美味しそうに一服している人をみかけます…。

 

それが私なんですけどね、ヨホホホホ!!

 

42.195キロ走った後の一服はたまりませんよ。

走り終わってまず行くのが喫煙所ですね。

 

ここだけの話。定期的に走ってる人は、喫煙者でもそれなりに走れます。

と言っても、フルマラソンという長い距離になると、私も1キロ4分30秒から5分30秒くらいに落ち着きます。

 

しかし、私は感じてます。タバコを辞めるともっとタイムが更新されると言うことを。

 

辞めるに超したことはないです。絶対に空気がおいしくなります。

 

喫煙者のランニングの始め方

1 まずは歩いてさらば酸欠

肺がダメージを受けているため、いきなり走ってもすぐに息が上がってばててしまいます。最初はとにかく無理をせず、20~30分くらいウォーキングをすることから始めましょう。

2 目標はゆるく長いスパンで

筋力を作り、心肺機能を回復させることが大切です。1時間歩けるようになったら約15分間走れることができます。半年後に30分走れるようになってさらに1年後には、ハーフマラソンに出場するくらいのつもりで、長いスパンの目標を立てましょう。

 

 

 

2.お腹周りの脂肪撃退はウォーキング

体質改善をするためには、有酸素運動が1番です。ランニングは劇的な効果をもたらしますが、日頃の運動不足がたたっているメタボさんがいきなり始めるのは、ちょっと無理があるかもしれません。

 

ランニングでは体重の3~4倍程度の負荷がかかるので、膝を炒めてしまう可能性もあります。最初はウォーキングや水泳など、負荷の少ない運動から始めてみましょう。

 

運動だけではなく、乱れた食生活を見直す必要もあります。脳が欲したものを後先考えずに食べてしまうくせがあるかもしれませんが、ランニングを続けるとそんな状態にも変化が起こります。

 

運動をするようになれば無理に我慢をしなくても、体がビタミンを欲するので自然と野菜が食べたくなったり、脂っこいものをあまり食べなくなるはずです。

 

そして何よりも、健康的にお腹が空きます。とにかく今の状況に危機感を持ちましょう。

 

最初の1歩

1 初めの一歩は緩やかな運動から

有酸素運動とは、酸素を取り込みながら行う比較的緩やかな運動を言います。ランニング、ウォーキング、水泳、自転車などがその代表で、脂肪を燃焼するのが大きな特徴です。体に負荷のかからないものからチャレンジしてみてください。

 体が欲している食べ物はどっち?

脂っこいものが大好きだし、甘いものも辞められない。メタボさんは、体の事を考えず、食べたいものを好きなだけ食べます。運動をすることで食生活はよりシンプルになるでしょう。

 

 

3.三日坊主とさようなら

この手のタイプの人にとって、「三日坊主」は耳の痛い言葉ではないでしょうか?三日というのは全く根拠のない数図ではないです。

 

「3」という言葉は実は、みなさんの人生に大概なじみの深い数字です。この根拠はいずれあげます。

 

何事も3日続けると4日目以降からは自然と楽にできるようになります。

 

では、ランニングを3日続けるにはどうしたらよいか。景気づけにレースにエントリーしてみましょう。そしてエントリーしたことを色んな人に吹聴して回ってください。なぜかというと、周囲の人に打ち明けることによって、やらなければならないという使命感や責任感を自分の中に作れるからです。いわゆるパワーボキャブラリーです。

 

パワーボキャブラリーについてはこちらをご覧ください。

 ↓

 

drg-horumo.hatenablog.com

 

 

友達や会社の人にいうのもよし、ブログやTwitterで宣言するのもよし、言いふらして外堀を埋めることが大切です。週に何回か走ることを続ければ、3週間を過ぎたころには何かしらの変化が起きているはずです。

 

私も週5で走ることを続けていたら、次第に義務感になっていきました。筋トレをやっていた頃もそうですが、筋トレをしないとおちつかない体になってしまうんです。こういったように毎日とはいいませんが高頻度でランニングを続けていると、使命感に刈られ、「走らなければ!」と思うようになります。

 

そして、レースにエントリーすると、目標ができるため、自然と走る回数や距離が増えたりして効果絶大です。

 

慣れない人は、音楽を聴きながらやいつもと違う風景を見るためにコースを変えてみるのもお勧めです。

 

ごほうび

 

 レースを目指してモチベーションアップ

レースにエントリーすると、走ることに対する目標が出来ます。5、10キロ、ハーフなどの最近のマラソンは距離が選びたい放題なので、フルマラソンでなくてもかまいません。エントリーしたら心の中にしまっておらず、周りに宣言を!

2 自分にたっぷりご褒美を

飴と鞭精神で、毎回い走る度に好きなものを食べてもよし、レースを完走したら自分にご褒美をプレゼントするのもいいでしょう。ご褒美を楽しみにして、走るくらいがちょうどいいですよ。

 

 

 

4.だるさのスパイラルから脱出

運動をした後の疲れと、仕事の後の倦怠感は違います。例えばレースの後のように筋肉が歩廊している場合は、それなりの休養を取らなければ破壊した筋肉は戻りません。

 

一方で普段から運動をしているわけではなのに「疲れやすい」と感じている人は、多少刺激を与えた方が慢性的なだるだから抜け出せるものです。

 

こいいったタイプの人は、最初から沢山走る必要はありません。ちょっと走って心拍数をあげるだけで、体も頭もスッキリします。いきなり走るのがつらかったら、階段を上がるだけでもいいでしょう。

 

大抵の人は、階段を上がった後の苦しさだけが印象に残って、「もう上がりたくない」と思ってしまいます。けれども心拍数が上がって血行がよくなることで、苦しさを感じた後は体がすっきりしているはずです。

 

疲労感にばかり敏感に反応せず、そのあとにやってくる爽快感も意識してみて下さい。

 

ランニングへのきっかけ

 

 ちょっと走って心拍数をup

軽く走るだけでも心拍数が上がって、血液のめぐりがよくなって頭や体がすっきりします。最初はすぐに息が上がってしまいますが、少しづつ長い距離が走れるようになっていきます。

 エスカレーターではなく階段を使おう

毎日利用する駅などは、エスカレーターではなく階段を使いましょう。長いこと運動をしていない人であれば、歩道橋やちょっとした坂道などを歩く習慣をつけるだけでも、体力回復に効果があります。

 

 

前回の記事

  ↓

drg-horumo.hatenablog.com

 

 

 

ランニングをするとこんないいことがある

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<目次>

 

 

1.大好きなお酒を禁酒する必要はない

ランニングをした後のビールの喉越しは何物にも代えがたいほど別格です。実際おいしいビールを飲むことをモチベーションにしているランナーは沢山います。だから、よりおいしいお酒を飲みたい、という飲ん兵衛さんには是非ランニングをお勧めします。

 

実際、フルマラソンを完走してまずやりたいなと思ったのがキンキンのビールを飲むことでした。ほんとに格別です。

 

二日酔いのときには、お風呂屋サウナで汗を流すのが一般的な解消法ですが、そんなときも走って治してしまうランナーもいるほどです。実際私もその一人です。汗を大量にかけば、アルコールも抜けてさっきまでの気持ち悪さが嘘のようになります。

 

サウナ以上のデットクス効果があるので、走り終わった後はアルコールがすっきり抜けているはずです。ただし二日酔いの程度にもよるので、くれぐれも無理は禁物です。

 

がっちがちの二日酔いの状態で走っている途中、ものすごい吐き気がきたことありますので無茶はいけませんね。

 

お酒好きが走る三大メリット

 

 お酒がおいしくなる

ランナーの好物はなんといってもビール。日々のランニングは勿論、レース後の一杯は格別。

 二日酔いがすっきり

朝起きて「ちょっとだるいな」と思ったら、ランニングを。汗をかくことで気分もスッキリです。

 カロリー過多を帳消し

「昨晩飲み食いしすぎたな」というときは、しっかり走れば罪悪感もなくなります。

 

 

2.飽き性で続かない人

習い事や趣味に色々挑戦したものの、ひとつとして続いたことがない。何事も形から入るのが好きだから、シューズとウェアを揃えてみたものの、早くもタンスの肥やしになろうとしている。

 

ランニングは、一日や二日頑張ったからと言って、すぐに効果が現れるものではなく、多少の忍耐力を必要とします。そもそもなぜ、ランニングを始めようと思ったのか、誰にでもその動機があるはずですから、思い出してください。

 

飽きっぽいことを自覚しているのであれば、飽きないようにランニングの環境に色々と変化をつけてみてはいかがですか。

 

例えば、私がよくやっているのは、住んでいる地域の全く車で通ったことのない道を走ったり、コースを毎度変えてみたり。意外と「こんなところがあったんだ」となり新しい発見も沢山あるので、案外面白いですよ。

 

飽きっぽい人の症状あれこれ

 

 グッズを買ったら満足

浪費することで瞬間的に欲望が満たされてしまい、肝心のグッズを使うことに楽しみを見出せません。

 熱しやすく冷めやすい

「これがやりたい!」と盛り上がるのは早いけど、飽きてしまうのも神業的な気まぐれ屋さん。

 我慢が続かない

楽しいことは大好きだけど、楽しめるようになる前の辛い段階でいつもくじけてしまうんです。

 

 

 

3.走る時間が見つかりません

何をするにも「忙しい」とか「時間がない」ということを言い訳を吸うる人は沢山いますね。「ランニングをしたいと思っているけど、休みがなくてできない」とか「朝から晩まで仕事をしているから、平日に走るのは無理」とか。

 

だけどそういうことを声高にいう人に限って、飲みに行く時間や趣味の時間はしっかりあったり、ベッドでだらさら過ごす時間はあったりしませんか?

 

そもそもランニングの初心者は、一時間以内で終わってしまうものです。一日の中でだらだら過ごしている30分をランニングに回せば、悩みは簡単に解決してしまうかもしれませんよ。

 

実際、一キロ約7分のスローペースで30分ランニングしても4キロも走れますからね。

 

「忙しい人」によくある言い訳

 

 毎日忙しくて余裕がない

どうして余裕がないのか、どうすれば余裕ができるのか、時間の使い方を見直してみませんか?

 時間があればやるけど

どのくらい時間があれば走るつもりですか?ランニングに必要な時間はせいぜい30分ですよ。

 そんな暇があったら寝たい

浅い眠りをだらだら繰り返すよりも、思い切って走った方が、かえって頭がクリアになります。

 

 

4.運動と無縁な生活の人

体育の授業以外は、運動らしい運動をしたことがなく、運動部に所属していたこともなし。いわゆる「運動音痴」を自覚している人で、これまでの生活は可能な限り運動を避けてきたことでしょう。

 

しかし最近のマラソンブームでは、運動神経の全くない人もとても多いのが実情です。

 

運動経験のない人は、今まで知らなかった体を使う喜びに感動を覚えて、ランニングの魅力にハマってしまうものです。

 

ランニングは運動神経や器用さを求められないのも、ハマりやすいポイントと言えるでしょう。ランニングには、未知なる魅力的な世界が広がっています。

 

運動経験がない人のお悩み

 

 今からできるか心配

始めたいと思ったときがベストな時期。運動未経験で始める人は沢山いるので、心配なく。

 体の動かし方が分からない

走ることを本格的に教わった経験のない人がほとんどです。基本の基本からやっていけば大丈夫。

ほかの人と同じようにできる?

基礎がないぶん時間はかかりますが、ランニングは競争ではないので気にする必要はありません。

 

5.ぐっすり眠れない日々が続く

年齢を問わず不眠症に悩む人は増えています。不眠症には様々な原因が考えられますが、悩み事や心配事があって眠れなかったり、神経が過敏になって眠れなくなるほど、何かしらのストレスを抱えている場合が多いようです。

 

眠りが浅くなってしまうのは、交感神経が常に優位な状態になっていて、リラックスモードになれる副交感神経がなかなか活性化されないためです。

 

重度の不眠症の場合は正直なところ、走ろうという気にさえなれないかもしれません。しかし、少しでも体を動かすことで神経バランスが整っていきます

 

不眠症にもいろいろあります

 

 眠りにつけない

入眠障害。眠ろうとして布団に入って横になっても、スムーズに寝付けない状態が続きます。

 眠りが浅い

中途覚醒。眠りが浅く、夜中に何度も目が覚めてしまうこと。熟睡したという感覚を得られません。

 目覚めがはやい

早朝覚醒。目覚ましをかけている時間よりも前に起きて、そのまま眠れなくなってしまいます。

 

(おまけ)6.走ると頭がよくなる

脳科学者の久保田競先生は、ランニングをすると、五感と肉体を駆使し、脳がとてつもなく激しい情報処理を行うため頭がよくなると言っています。

 

公道などを走っていると、たとえば信号があったり、車が横切ったり、前方から自転車に乗っている人がきたりなど、注意すべきポイントはたくさんあります。それを歩いている時よりも速いスピードで、的確に判断して動く必要があります。

 

その動作自体が頭をかなり使っている状態で、ベッドでぼーっとしている時とは大違いです。情報判断能力や触覚は勿論、筋肉も駆使するので、血液の循環もよくなり、脳への酸素の供給量もアップします。体をフル活用することで頭もさえわたります

 

実際、私は月に100キロ走るようにしていますが、走ってい入ると様々な考えや想像ができ、非常に脳が冴えわたっていることを実感しています。そして走った後に勉学や読書、ブログのアップなどを行っています。

 

何か作業をする前に走ると集中力も発想力も格段に上がっているので是非お勧めです。

 

 

 

       

 

 

組織(チーム)の理想は小学校にある

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<目次>

 

 

1.チームだからこそアイデアが生まれる

個人の喜びはともかく、今日の会社で最も求められているのが「アイデア」であることは間違いないです。それには、個人の資質や能力に依存するより、人と人とが関わって新しい付加価値を生み出すのが最も効率的です。

 

お互いの新しい意味が生まれる関係性、すなわち「クリエイティブな関係性」が非常に重要です。

 

組織における本来の目的は、何らかのアイデアを生み出すためにあるのは言うまでもありません。同じ問題意識を持つ者同士が時間と空間を共有することによって、アイデアの”上乗せ”に期待するのが筋です。

 

しかし、日本の会議というのは、その点が圧倒的に軽視されています。むしろアイデアを出した者が全ての責任を負わされるような「黙っていたもの勝ち」の風潮すらあります

 

あるいは、会議に限らず、日常の業務にしても、最近は人と人とが直接関わる機会が減っているようです。同僚の座る隣席との間をパーティションで区切っている職場や大学の研究室も多いです。これではとても「クリエイティブな関係性」は生まれにくいでしょう。

 

小学校ではドッチボールや習い事を経験してチームワークを学び、中学校では部活動を通じてともに努力することを学びます。そして共同で何かの成果を得た時、個人プレーでは味わえないような歓喜を知ります。大げさにいえば、これこそが生きる活力になるのではないでしょうか?

 

実際、世の中で、「成功している」と評価されるチームは、例外なく活気があります。メンバーが萎縮したり、逆にだらけたりしているチームでは、いいアイデアが生まれるはずもありません。

 

拍手やハイタッチまで励行しているかどうかはわかりませんが、誰もが意見を出し合っているからこそお互いの意識が高まり、相乗効果でチームとしての機能が高まるのではないでしょうか?

 

 

2.人が集まっただけではチームではない

そもそも「チーム」とはなんでしょうか?単に人数が集まっただけの集団は「チーム」とは言えません。

 

例えば、あるプロジェクトのメンバーが初めて招集された段階などがそれにあたります。頭数は揃っていても、目標や意思はバラバラ、互いの性格や腹の中も分からないのであっては、チームとして機能しないのは当たり前です。

 

重要なのは、そこからチームとしてまとまっていくプロセスにあります。

 

チームスポーツの場合、最初はバラバラでも、共に厳しい練習を乗り越えたり、惨敗や惜敗を喫したりすることで次第に団結が生まれてくることはよくあります。これは部活を経験したことある人なら思い当たるふしがあるのではないでしょうか?

 

大前提であるのはメンバー全員が当事者意識を持つことという事です。チームには「推進力」というものが存在します。ルーティーンな仕事だけではなく、簡単な仕事を素早く処理し、新しいアイデアを次々に生み出すような力です。

 

学校のクラスを一つのチームだとすれば、授業の進み具合はクラスごとに差が出てきます。授業を推進するのは先生の役割だと思われがですが、いくら先生が熱血でも、生徒が聞く耳をもたなければ授業は進みません。

 

授業の場合、生徒に聞く姿勢をつくらせることも含めて先生の役割ともいえるでしょう。

 

しかし、企業組織なら上司がそこまで責任を負う必要は必ずしもありません。お金を払って授業を聞いている生徒とは違い、社会人はお金をもらう側なのだから、何らかのチームの推進力に貢献するのは当然のことでしょう。

 

たとえ新入社員であってもチームの推進力になることは可能です。経験値が足りない分、とにかくパワーボキャブラリーを前面に出して場を明るくするや、飲み会の準備を買ってでるとか、できることは色々あります。まずは「自分のチームのために何ができるのか」と、常に考える癖をつけるのが第一歩です。

 

あるいはほかのメンバーにしても、「自分は推進力の一助になっているか、それともぶら下がっているだけか」を考える必要があります。やや大げさに言えば、これは大人としても「義務」でもあります。

 

一般に私たちは3つの義務を背負っていると言われています。義務教育を受けさせる義務、納税、そして勤労です。最近は教育と納税も怪しくなってきてはいますが、勤労も義務と感じている人は少なくないかもしれません。

 

それは「お金のために仕方なく働く」ことではなく、所属するチームに貢献することだと考えます。

 

与えられた仕事だけをやって当たり前のことを毎日する、だけでは毎日に変化を感じないし、それこそ何のために仕事をやっているのだろうと自己嫌悪になる人は沢山いることでしょう。それならチームのため、誰かのためを思い、日々成長を感じながら仕事をする方が圧倒的に楽しいしマイナス思考になることも少なくなります。

 

メンバーの一員になり、ある時は追い立てられるように、またある時は恥をかきたくない一心で、さらにある時は周囲に期待されているという自負心が原動力になって、自然にやる気になる。このプロセスに乗ることこそ勤労であり、その集合体がチームの推進力にもなります。

 

協調性もなく、チームが苦手という人は個人的にフリーで仕事をしてみて下さい。

 

仕事というのは人と人が必ずつながっています。人を大切にしない人に仕事が回ってくることなんてありませんから、協調性を学び、チームワークを学び、人から信頼されてからこそ仕事がまわってきます。何もしないあなたに転機なんて訪れません。

 

 

3.組織の理想は小学校にある

私は日本のあらゆる組織の目指すべき理想の姿は、小学校の教室にあると思っています。

 

小学校時代、私たちは共同作業を通じて人と仲良くなれるプロセスを学びました。喧嘩をしたり、そりが合わなかったという関係があるものの、とりあえず折り合いをつけて波風を立てない術も身に付けました。この技術は本来、会社組織でも有効です。

 

ところが、中学校、高校、大学に進むにつれて、私たちはこれらの教えを忘れがちになります。それはある意味では仕方のないことだと思っています。班活動は不活発化または消滅するし、勉強も教科ごとの専門性が増し、意見を出し合う部分は減ります。

 

小学生と中高生では雰囲気がまるで違います。「何かを発表しなさい」というと、小学生は嘘のように手を挙げて発表したがるが、中高生になるととたんに挙げなくなる。主体性という意味では小学生よりも中高生の方が育っているはずだが、恥ずかしさが先にたってしまうらしい。この部分が教育で欠落しているというわけです。

 

一方で中学校からは部活動が本格化します。これが授業の代わりに主体的な活動や仲間意識の発達に役立ってもいいはずですが、指導者によってはそういうことに焦点を当てられな場合もあります。

 

大学教育もその延長にあります。さすがにゼミでは意見交換が求められますが、教育や生活の中心にはなり得ません。大学生は遠慮がちで様子見の構えであることが多いです。

 

実際、私の所属していた研究室のゼミでは一人の発表に対して決まった人しか質問をせず、大半は教授からのアドバイスや意見で終わっていたのが現状です。

 

つまり日本人は、成長するにしたがってコミュニケーション能力が下がり、孤立化しやすくなります。チームでお互い高めあうとか、集団で意思決定するプロセスを忘れたままお大人になってしまうのです。

 

とりわけ苦手としているのが、コミュニケーションの一環としてのディスカッション能力です。欧米からの帰国子女や留学生と、日本の大学生が議論すると、その違いは明白になります。

 

知識量や議論的な思考能力にそんなに大差はないのに、自分意見を積極的に述べ、相手の主張を聞き、それに対して反論をするという技術が欠けているのです。これは、特殊な訓練の有無というより、中学校、高校時代の経験の違いが、そのまま優劣につながっているのでしょう。

 

この点については、日本は欧米から素直に学んだ方がいいでしょう。

 

こういう”劣化”のプロセスは、国際的な今教育評価を見ても顕著です。少し前まで日本の初等教育(小学校教育)の評価は世界一とされていました。単に教科の成績がいいだけではなく、積極的に班活動を行い、皆で決めた目標に向けて一生懸命に努力し、毎日反省会をする姿勢が高く評価されていました。

 

ただ最近は初等教育の評価も下がりつつあります。これには諸々の理由があるでしょうが、最も問題なのは高等教育(大学教育)の評価が極めて低いことにあります。

 

勉強時間では、日本の大学生の勉強時間は小学生以下という統計が出ています。アメリカの大学生とは極端な差が出ています。

 

 

4.最後に

 

私たちはもう一度、かつての初等教育の価値に気づくべきではないでしょうか?

 

それは教育の場としてではありません。

 

組織の在り方としても、見習える点が極めて多いです。