サイコパスは死ぬほど退屈を味わう
死ぬほど退屈を味わうサイコパス
だれでも退屈につては知っているだろうが、正常な大人が完全な退屈を経験することは少ない。
私たちはストレスを抱え、あわただしく動き回り、くよくよするが、本当の退屈はめったに感じない。
それは私たちがあまりにストレスを抱え、あわただしく動き、くよくよするせいであろう。
何もすることがないときは、たいていほっと一息つき、退屈には思わない。
本当の退屈がどんなものなのかを理解するには、子供時代を思い出すといい。
幼少期から思春期にかけての子供はよく退屈する。
耐えがたいほどの退屈を感じるのだ。
正常な成長期には絶えず刺激が必要で、絶えず何かを探し求めて学習するため、長旅や雨の午後や自習時間にはうんざりすることが多い。
子ども時代の退屈は慢性の偏頭痛や飲み物がないときの猛烈なのどの渇きと同じように、辛いものになる。
あまりに耐えられないので、あわれな子供は大声でわめいたり、壁に何かを投げつけて大きな音を立てたりする。
極度の退屈は、たしかに苦痛である。
さいわい、大人は刺激を必要としたりしない。
ストレスはあっても、刺激が耐えがたいほど過多でも過少でもない、かなり穏やかな覚醒状態の中で生きている。
だが、サイコパスは、常に刺激を求める。
スリル中毒とか危険中毒など、中毒という言葉がつかわれることもある。
こうした中毒が起きるのは、刺激への欲求を満足っさせるには、感情的な生活が必要なためだ。
私たちは、ほかの人々の意味のある結びつきや約束事、幸せな瞬間や不幸せな瞬間から刺激を受けるが、サイコパスにはこの感情的な生活がない。
ときに心を痛めたり、時にスリリングに感じたりと、人との結びつきから生じるたえず覚醒した状態を、彼らは経験することはないのだ。
とある実験の一例。
電気ショックや大きな音を使った実験では、普通は不安感や恐怖に結び付く生理的反応(発汗、動機など)えさえ、サイコパスの場合は極めて鈍かった。
サイコパスが適切な刺激を得る方法は支配ゲームしかないが、ゲームはすぐに新鮮味を失ってつまらなくなる。
麻薬と同じく、ゲームを大きく刺激的にしながら、ひたすら続けねばならないが、サイコパスの資力と才能次第で、それも不可能になる。
というわけで、サイコパスには退屈の苦痛が絶えずつきまとう。
化学的に退屈を一時的に弱めようとして、サイコパスはアルコールや麻薬の力に頼りがちになる。
とある研究では、サイコパスの75%はアルコール依存症で、50%は薬物常習犯だった。
つまり、サイコパスは精神的に危険中毒であるのに加えて、実際の中毒者である場合が多いのだ。
”絶頂体験”と危険が味わえるドラッグ・カルチャーはサイコパスにとって魅力が多く、居心地のいい世界になっている。
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