horumo’s blog

心理学・心理術の世界

サイコパスは幸せになれるか

f:id:drg_horumo:20200304171039j:plain

 

 

良心が欠如しているいわゆるゆサイコパス

 

彼らは自分の自己淘汰のためにならなんでもする。

 

平気で嘘を付き、うまく駆け引きをし、物を盗んだり、殺人を犯したり、人生をゲームのように楽しんでいる。

 

そんな彼らは果たして幸せになれるのだろうか?

 

サイコパスは幸せになれるか

 

しあわせとは、あなたの考えと言葉と行いが、調和していること

マハトマ・ガンジー

 

 

良心から完全に解放されて、良心の呵責も罪悪感も全くない感じでいられるとしたら、自分の人生はどうなると思いますか?

 

たいていの人は、「え、うーん」あるいは「そんな、ばかな」と言って口をつぐみ、よくわからない言葉で何か聞かれた時のように、額にしわをよせて考え込む。

 

そして、たいていの人は、良心の重みにとどまった様子で苦笑いをしながら、

 

「どうなるかなんてよくわからない。でも、今と違う人生になることは確かでしょうね」

 

「え、うーん」

 

と言って沈黙するでしょう。

 

しかし、想像力豊かな人は、クスクス笑いながらこういうかもしれない。

 

「小さな国かなにかの独裁者になったかもしれないな」

 

そういう人は、その方が自分が今やっている社会的に評価の高い仕事より、華やかでかっこいいと言いたげにしている人だ。

 

 

良心を持たない方がかっこいいだろうか。

 

その方が幸せになれるだろうか。

 

大勢の人たちが面倒に巻き込まれるのはわかる、サイコパス自身を除いて、その小国の国民全てが。

 

だが、実際個人レベルで、あなたや私が良心の抑制から解放されたとしたら、幸せに恵まれた暮らしができるだろうか。

 

できそうにも思える。

 

嘘つきな人達は権力を手に入れ、私たちが地道に働いて、”そこそこの”車のローンを払う一方、企業泥棒は自家用機やヨットを買っている。

 

しかし、真実はどうだろう。

 

サイコパスはいい暮らしをしているだろうか。

 

皮肉にも、私たちは互いによってたがいに分かち合う社会的な生物として選定されてきた。

 

というか、少数の例外を除いて全員がその道をたどった。

 

かたや異なった道をたどった少数派は、同じ実利的な淘汰の過程で利益を得ながら、仲間に対して邪魔で冷淡になるように進化し、感情的な回路が絶たれた、自分本位に働く脳を持つようになった。

 

この古い歴史をもつ2つのグループを現代の視点から、社会的な良心をもつ一派と、反社会的な一派、果たしてどちらが人間として有利と言えるだろうか。