サイコパスは勝ち組か
こんにちは、ほるもです。
あなたたちが憧れているサイコパスは勝ち組なのかどうか。
今回はそれについて書いていきます。
それではどうぞ。
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サイコパスは勝ち組か?
反社会人格障害、精神病質、社会病質、という名称には、いくつもの概念が不安定に入り混じっており、不適切ではないだろうか。
この問題に関して重要なのは、ほかの精神病質(ナルシシズムも含めて)の場合は、患者自身が実際にかなり悩んだり苦しんだりするという点だ。
サイコパシーだけは当人に不快感がなく、患者が「気に病む」ことのない「病気だ」。
良心を持たない人たちは、自分自身と自分の生活に満足していることが多い。
効果的な治療を受けるのは、裁判の結果であったり、患者になった方が自分にとって都合がいいからだ。
良くなりたいという気持ちでセラピーを受けることなんてめったにない。
これらの事実を重ね合わせると、疑問がわいてくる。
良心の欠如は精神障害なのか、それとも裁判用語なのか、それとも全く別のものか。
避けて通れないサイコパス 対 私達という点を考えるには、科学、道徳、政治の世界にまで踏み込まざるをえない。
ある部分で道徳と関りを持つ現象を、科学的に追求できるだろうか。
専門家の助けや支えが必要なのは、”患者”だろうか、それともその身近で耐えている人々だろうか。
心理学の研究がサイコパシーの”診断”に道を開くとしても、誰を被験者にすればいいだろうか。
これほど政治的・学問的に、厄介な疑問を生じさせる障害は他にはない。
しかも配偶者への暴力行為やレイプから、連続殺人、戦争挑発といった行動にまで関りが顕著なサイコパシーは、ある意味では最も新しく、最も恐ろしい心理学の前線と言えるだろう。
そしてめったに口出しされな、とりわけ厄介な問題がある。
・サイコパシーは本当に障害なのか。
・それを持つ人に害をなすと言い切れるのか。
・それとも機能的に支障はないのか。
・良心はそれを持つ人や集団によい作用をもたらすのか。
・それとも何人ものサイコパスがほのめかしているように、大多数の人々のための単なる心理的歯止めに過ぎないのか。
これらの疑問は暗黙のうちに人々の前に大きく立ちふさがっている。
この地球上には、何千年も前から現在に至るまで、けた外れのスケールで非道なことを行ってきた人々がいた。
そして現在の社会では、他人を利用することは当たり前のようになっている。
良心を持たないビジネスのやり方が莫大な富を生む。
個人的なレベルでは、あくどい人間が勝ち組になる例はどこにでもある。
そして正直者が、ただの馬鹿にしか思えなくなる時も多い。
悪者はいつか滅びるだろうか。
それとも結局のところ、お人よしでは勝てないだろうか。
破廉恥な少数派が、本当にこの地球を受け継いでいくのだろうか。
あなたたち自身もこれらを踏まえて自問自答してその答えをぜひとも教えてほしい。
それでは今回はこれで。
ほるもからのお礼。読んでくれてありがとう💛
バイビっ!!