弱肉強食の世界で両親は役に立つか
こんにちは。ほるもです。
10日間近くブログ更新できなくてすみませんm(__)m
理由は言い訳になるので言いません。
本日から毎日投稿できそうなので気合を入れて頑張ります!
前回の記事はこちら↓↓↓
あらゆる面で独自の存在としてレッテルを貼られ、分類され、孤立して生きる動物であっても、他の者の助けを必要としないわけがあるだろうか。
ールイス・トーマスー
弱肉強食の世界で良心は役に立つか
自然界が食うか食われるかの熾烈な戦いの世界であるとするならば、なぜ多くの人は、殺した方が自分に有利だとわかっている時でさえ、殺してはならないと命じる良心に従うのか。
そして人殺しまではいかなくても、私たちはなぜ盗んだり、嘘をついたり、人を傷つけたりすると、罪悪感を感じるのだろう。
サイコパスがなぜ生まれるのかは、みなさんだいたいおわかりいただけただろう。
もしまだ以前の記事を見ていない人がいたら、この記事の終わりに貼っておきます。
ここではそれと対になる問題、良心がなぜ生まれるのかについて考えてみよう。
この問題もまた非常に込み入っている。
ダーウィンが1859年に「種の起源」を出版して以来、人間を含む全ての生き物は自然淘汰の法則に従って進化したと、科学的に理論づけることが多くなった。
「弱肉強食の法則」ともい変えられるこの法則によると、生存と再生が確保される性質が種の中で残っていく傾向がある。
ある肉体的特徴や、行動的特徴が生存に適した条件を何世代にもわたって固体に与え続けると、状況や環境の違いを超えて、膨大な時間経過の中で次第に強調され、種の水準的な遺伝の設計図になる。
自然淘汰の法則に従って、トラは鉤爪を持ち、カメレオンは体の色を変化させ、ねずみは広い場所を避け、オポッサムは死んだふりをし、類人猿は大きな脳を持つようになった。
それぞれにその方が、他の仲間よりも長生きをし、たくさんの子孫を残せたからだ。
だが、この過酷な弱肉強食の法則の中で、捕食動物ーその中には人間もいるーの固体が、自分の行動を縛る強い道徳心を持ったとしても、なんの役に立つだろう。
たとえば、良心を持つホオジロザメがいたとしたら。
どれくらい長く生きられるだろう。
だとすると、人間の良心の起源はどこにあるのか。
この疑問を別の形で考えてみよう。
難破した人たちが何人か、資源の限られた孤島に流れ着いたとしたら。
最終的にどんな人が生き残るだろう。
・正直で道徳的な人か
・無情で自分勝手な人か
・親切で思いやりのある人か
・いつも自分のことしか考えない人か
・自分以外の全ての人を殺そうと考えている人か
孤島にほかに生存者がいて、子供が生まれたとしたらーそしてサイコパシーが少なくとも部分的に遺伝するとしたらー何世代も続いていく間に、島の人口の大半は良心のない人間になるだろうか。
その場合、サイコパスたちは何も考えずに孤島の資源をすっかり枯渇させ、全員が死滅するのではないだろうか。
そしてもし良心を持つ人々が、危険に溢れ、無情なものが栄える島でまだ生き残った場合、自然がその道徳心に味方することなどあり得るのだろうか。
次回はこの見解について、もう少し自然淘汰の法則・進化論に沿って解決していきたいと思う。
みなさんはこの場合、どんな人間が生き残ると思いますか。
そして、普段みなさんが当然のように持ってる、優しさ、思いやり、良心について哲学的に考えてみてはいかがだろうか。
そんな誰しも持っている感情について議論する余地もない
時間の無駄だ...
ほんとにそうですか?
心配しなくてもあなたがまだであったことないだけであって、自分の心の内側に悪魔をひそめている人間はいくらでもいますよ。
それでは今回はここまで。
また見てね、バイビっっ!
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