サイコパスの恐ろしい6つの特徴
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目次
- 彼らが自分自身に満足しない退屈以外の原因
- 強迫観念に襲われた史上最も有名なサイコパス
- サイコパスが仕事をさぼるために言ういいわけ
- 利口なサイコパスの手口
- サイコパスは単独で行動する
- 最後は敗者に
- まとめ
彼らが自分自身に満足しない退屈以外の原因
サイコパスは完全に自己中心なため、身体のあらゆる小さな痛みや痙攣にたいして自意識が猛烈に強い。
頭や胸に一瞬感じる痛みがいちいち気になり、ラジオやテレビで聞きかじった話は、すべて自分の身に置き換えて心配になる。
その不安と警戒は常に例外なく自分自身に向けられるため、サイコパスは自分の健康を病的に不安がる心気症患者のようにもなる。
彼らに比べれば重症の不安神経症の患者でさえ、理性的に見えるほどだ。
紙で親指を切ったら大事になり、口内炎ができたらこの世の終わりのような騒ぎになる。
強迫観念に襲われた史上最も有名なサイコパス
↑テオドール・モレル
健康状態について強迫観念に襲われたサイコパスの史上最も有名な例がアドルフ・ヒトラーだろう。
彼は生涯にわたって癌の恐怖にとりつかれた。
癌をよせつけないため、そしてその他の数多い想像上の病気を治療するため、彼はお気に入りの専属医テオドール・モレルに処方してもらった特別の、”治療薬”を飲んだ。
その錠剤の多くに幻覚を誘発する毒素が含まれていた。
そのようにして、ヒトラーは自ら飲んだ毒で次第に本当に病気になっていった。
たぶんそのために、彼の右手にできた(ほんものの)腫瘍が目立つようになり、1944年半ばには、写真撮影を禁じた。
サイコパスが仕事をさぼるために言ういいわけ
サイコパスは仕事をさぼる言い訳に心気症を使うこともある。
元気そうに見えた一瞬後、勘定を払ったり、職探しをしたり、友人の引っ越しを手伝うなどいう段になると、急に胸が痛くなったり、足が動かなくなったりするのだ。
そして彼らの空想上の病気は、例えば満員の会場で最後の空席を確保したりするときも役立つ。
一時的に彼らは努力を続けることや、組織的に計画された仕事は嫌がる
現実世界で手っ取り早い成功を好み、自分のすることを極めて制限する。
毎朝早くから職場に通って長時間働くなど、ほとんど眼中にない。
サイコパスはすぐにできる計画や一回勝負、効率のいい奇襲作戦の方がはるかに好きだ。
サイコパスが職場で責任ある地位に就いたとしても、その地位は実際に仕事をした(あるいはしていない)量が判断しにくいポストであったり、実作業は自分が操作した人たちにさせてる場合が多い。
利口なサイコパスの手口
利口なサイコパスはときどき派手なパフォーマンスをしたり、お世辞や魅力をふりまいたり、脅したりすることで、物事を進行させていく。
自分を不在がちな上司や凄腕の上司、あるいは、たぐいまれな”ピリピリした天才”にみせかける。
頻繁に休暇や休み時間を取るが、その時間に何をしているかは謎である
長続きする細やかなところまで目を行き届かせることーは責任と重なる部分が多すぎる。
残念なことに、この自己制限の傾向は、特別な才能を持って生まれたサイコパスにも当てはまる。
なにか真剣に没頭することや、毎日訓練を重ねて美術や音楽その他の創造的な力を磨くことは、サイコパスには全く向いていない。
偶然による成功が、ときたま訪れるかもしれない。
だが、根気よく情熱を傾けることが芸術にはい必要だとしたら、大成はしないだろう。
結局のところ、良心の無い者は、人に対するときと同じように、自分の才能と接する。
才能の面倒を見ようとしないのである。
サイコパスは単独で行動する
サイコパスはほとんど常に単独で行動するが、これも一時的には成功しても、長続きしない原因の一つだ。
あくまで利己的なため、彼らはチームプレイが非常に下手だ
サイコパスは自分にしか関心がない
別の人間を相手にするときは、嘘やお世辞や脅しを使う。
こうした接し方は真剣につきあったり、リーダーシップをとったり、面倒をみたりする関係よりはるかに絆が弱く、短命だ。
そして、目標に向かって誰かと協力し合ったり、仲間と努力を続けたりする場合も、自分本位のサイコパスが混じると台無しになる場合が多い。
最後は敗者に
良心の欠如は果たして精神障害なのか、それとも機能的に支障はないのか。
精神障害の使用可能な定義の一つは、かなり深刻んs「生活の破綻」を引き起こす精神状態である。
つまり、当人の全体的健康と知能程度を考えれば当然期待できる機能的能力に、深刻で異常な制限が加わる状態である。
常識的に考えても、目立った精神障害ーうつ病、慢性不安、妄想症などーが深刻な「生活の破綻」を生むのだろうと判断できる。
しかし、道徳的特徴と考えられているもの、すなわち良心が欠如している場合はどうだろう。
サイコパスはまずめったに自ら治療を受けようとはしないが、彼らは「生活破綻」に悩んでいるだろうか。
この問題を探るために、サイコパスにとって人生で意味のあることー勝利し支配するーに目を向け、次の質問について考えてみよう。
サイコパスの全員が大権力者にならないのは、なぜか。
彼らの一点に集中した動機を考え、良心に邪魔されない行動の自由を考えれば、彼らの全員が国家の指導者や国際的な最高経営責任者、少なくとも地位の高い教授や小国の独裁者になってもいいはずだ。
なぜ彼らは常に勝ち組にならないのか。
そう、勝ち組にはならない。
彼らの多くは埋もれており、せいぜい自分の子供や押さえつけられた配偶者、あるいは数人の従業員や同僚を支配するくらいが関の山だ。
刑務所に送られる者、仕事や命の危険にさらすものも少なくない。
大金持ちになるものはほとんどいないし、有名になるものはもっと少ない。
世界にたいした足跡を残すこともなく、大半は下降線をたどり、中年の後半になるころには完全に燃え尽きている。
彼らは一時期盗みを働き、私たちを苦しめることがあっても、実際には人生の失敗者なのだ。
歴史に名を残す大物たちでさえも失敗している。
普通の人たちにとって、幸せは愛すること、より高い価値に従って人生を生きること、そしてほどほどに自分に満足することから生まれる。
サイコパスは愛することが出来ず、基本的に高い価値観をもっていないし、ほとんど常に自分自身に満足しない。
彼らは、愛も道徳も持たず、慢性的に退屈している。
富と権力を手にした一握りの者たちにさえそれが言える。
まとめ
このように、最終的に失敗への道をたどる傾向は、悪名高い暴君のみならず、もっと目立たないサイコパス的な上司、同僚、配偶者でも同じだ。
サイコパシーのように周囲の人々を操作するスリルにとりつかれると、ほかの全ての目標が見えなくなり、結果として性格はこうなるものの「生活破綻」が、うつ病や慢性不安や妄想症などの精神病と同じほど深刻になる。
そしてサイコパスの感情的破綻は、彼らに感情的知能が全くないことを示している。
つまり人間の世界で生きていくうえでのかけがえのない指標、人の心の動きを理解する能力が欠けているのだ。
他の人々を蹴落とせば自分の力が強くなると考える者、社会もその規制も自分には永久に手が出せないと考える者、憎しみに燃えた部下たちに追い詰められて失墜した独裁者のように、サイコパスは頭がいい場合でも近視眼的で、驚くほど世間知らずであり、やがては退屈や経済的困窮や銃弾などで姿を消していく。